人間はなぜ生きるか:Med草子

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人間はなぜ生きるか

人間はなぜ生きるのか。

この問いかけをすることは、あまり意味がないのかもしれない。

 

「あなたは現に今生きています。ではどんな毎日を送りたいですか?」

などと、換言する事を、「今をよりよく生きるための」心理学では勧めるかもしれない。

 

「どんな毎日を送りたいか」、「どんな人生にしたいか」と想像する時、

そこには各人が思い描く自分のあるべき姿が映っているのだろう。

「こうありたい」と願い、それを実現させることが生きることの原動力ということになる。

 

つまり、人間は何かしら「目的」がないと生きられない動物なのかもしれない。

 

生物は「生命の維持」と、「遺伝子の引継ぎ」を目的とするらしい。

では、それが満たされているとき、何をもって「生きていなければいけない」と自分を律することができるだろうか。

 

夜、いきなりある友人から電話があった。

友人は、今年度当然あるべき昇格昇給がなかったことに憤っていた。

一番の怒りの原因は「○十万以上は昨年より余計にもらえたはずだ。損をした」というものであった。

 

私は長い電話を聞くにしたがって大きくなってきた疑問を尋ねた。

「余計にもらえるはずの給料で、何かするつもりだったのか?」

 

すると友人は「特に決めてはいないが、多い方がいいではないか」と答えた。

「では、もらえないことでローンの返済に困るとか、実際問題が起きるわけではないんだね」と確認すると、

「そうだが・・・、やっぱり損したという気持ちは割り切れない」と言った。

 

友人は失恋等が誘引となって鬱病に苦しんだ。

現在は通院している。通院のため会社を休むことへの周囲の不理解は、かなり本人を苦しめたようだった。

昨年の辛さを乗り越えたのは、今年になれば昇給するというほぼ確実であろう未来を信じたからだと言う。

 

 しかし、その金で何をするか、確たる目的はなかったのだ!

 友人にとっては、「今より多くの金を得る」ことが目的だったのだ。

 

眩暈がした。

 

「通貨」というのは、そのものに価値はない。

単に紙に印刷してあるか、金属を加工したものだ。

「それには○○円の価値がある」と行政機関が決め、その国の経済で認められて初めて価値を持つ。

 

しかも、持っているだけでは単に紙か金属である。

その通貨の価値が認められている所に行って、物やサービスと交換して、初めて「通貨(流通して、手段として機能を持つもの)」と言える。

 

友人の場合、通貨をただ手元に置いているわけではなさそうだ。

「自分は散財する性質だ」と言っていた。

しかし何が欲しいかイメージできずに通貨を求めるというのは、通貨と交換したものやサービスから、心に残る充足感を得た経験に乏しいのではないか、と推察する。

 

もちろん、自分もえらそうにいえる立場にはない。

財布に金があるとすっからかんになってしまうまで使ってしまったり、金に余裕がないくせにできるだけそのことを考えないようにしてコンサートのチケットを予約したり、「こうありたい自分や状態」をイメージして使っているとはどうも思えない。

 

非常に幸運なことに、私は自分の生命維持に必要な金は頂いている。

その残ったお金で、「自分の精神の維持管理」に必要と称して、コンサートのチケットを購入したりする余力はある。

 

いつもコンサート会場で、食い入るようにステージを見ているのは、「高いチケット代の元を取らないと!」という貧乏性のせいもあるが、作曲家の残した譜面を、指揮者がどのように解釈し、それをオーケストラのメンバーと音楽に紡ぎあげていくのか、タクトの振り方や演奏の仕方に現れる人間の心の動き、作曲家の表現したかった自信の心象風景を、断片だけでも共有したいと願っているからなのだ(大上段に書きすぎたな)。

 

何回目かのコンサートの時、その機会は訪れた。

会場は大阪シンフォニーホール、指揮小林研一郎氏、演奏関西フィルハーモニー管弦楽団。

 

そのコンサートの最初の演目は、フィンランドの作曲家シベリウスの交響詩「フィンランディア」Op.26だった。

   ジャン・シベリウス フィンランドの作曲家  Jean Sibelius,1865年12月8日-1957年9月20日

 

その前にシベリウスの全集CDを購入していたので、予習をしていっていたが、曲の冒頭、CDでは分からなかったコントラバスの地響きのような唸りが、一気に私の心をひきつけた。

 

この曲は当時旧ソビエトの侵略にさらされていたフィンランドの国民の愛国心を呼び覚ますをもので、最初は侵略に苦しむ国民の気持ちを表現するかのように、地の底から響くような重低音のメロディーから始まるのだが、やがて立ち上がった国民に勇気と希望を与えるような明るいメロディーとなり、最高潮のところでクライマックスを迎える。

 

私は最初のコントラバスの地鳴りのような響きから、一気に舞台上に引き込まれ、シベリウスが故郷の自然を描写しながら、この美しい国を守っていきたい、と自然に感じさせるメロディーの構成にすっかり魅せられた。

 

その時私は、シベリウスの心象世界がステージ上に現れるのをはっきり見た。

初めての体験だった。

 

  指揮者 小林研一郎氏  アンコールで、自らピアノを弾く小林研一郎氏

 

 

 

 

 小林研一郎氏の指揮する曲を聞くのは初めてだったが、これで一気に小林氏にひきつけられ、それから何回か氏の演奏会に足を運んでいる。

 

  

人は生きる中でいろいろな体験をする。

作曲家は自分の体験を基に曲を書いている。

だから、失恋や結婚など、本人にとって大きなインパクトのある経験をした後、名曲が生まれていることが多々ある。

 

私も含めて、24時間、寝ている間ですら、人は様々な体験をする。

それに対して生じた感情をすべて流してしまっていたら、確かに人生は無味乾燥なものだろう。

 

そのなかでも、自分が特に心を揺さぶられたことを、私は大切にしたい。

今はこうやってつたない文章で伝えることしかできないが、いつか体験を熟成させて、何か新しいものをつくり、それが誰かの琴線に触れることがあったら、それを心の栄養にしてくれたら、ようやく私の存在価値があると言っていいのかもしれない。

 

生きる目的を見つけると言うのは、難しいものだ。私にとっては。

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投稿者: bless 日時: 2008年06月05日 04:17 | TOPページへ   ▲画面上へ

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