音楽:Med草子

西本智実指揮「新世界」ツアー モンテカルロフィルハーモニー管弦楽団 2008.6.29 大阪フェスティバルホール 

西本智実指揮 「新世界」ツアー

モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団   

  大阪公演 2008年6月29日(日曜日)14時開演

          フェスティバルホール

   西本智実「新世界ツアー」

さて、今日は,西本さんの地元、大阪での開催です!

あいにくの雨模様でしたが、開演1時間前からホールはお客さんで一杯でした。

  大阪フェスティバルホール

 

 隣のお客さんもおっしゃっていましたが、今日のプログラムは、面白い組み合わせです。

 オペラから、ピアノ協奏曲、そして交響曲と、ジャンルも様々で、かつ作曲者の故郷や活躍の場も
ビゼー(フランス、『カルメン」の舞台はスペイン)、ショパン(ポーランド、作曲の場はフランス)、
ドヴォルザーク(チェコ、交響曲第9番の舞台はアメリカ)、と様々です。

さあ、曲に入りましょう!

1.ビゼー   オペラ『カルメン』第1組曲           Georges Bizet "CARMEN"

   第1曲: 第1幕への前奏曲   
     第2曲: 第2幕への間奏曲(アルカラの龍騎兵)    第1幕 第11曲: フィナーレ 間奏曲
     第3曲: 第3幕への間奏曲                第2幕 第18曲: フィナーレ 間奏曲
     第4曲: 第4幕への間奏曲(アラゴネーズ)          第3幕 第24曲: フィナーレ 間奏曲


  第1曲はCMなどでもおなじみですが、何をして組曲というのか知りませんでした。

 今日聴いた曲をHMVのサンプル音源と照らし合わせて、ようやく分かりました。

 カラヤンが『カルメン』の全曲を収録しているので、参考までに併記しました。

 
 
  タクトに血が通い、脈動し始めた瞬間、オーケストラが一気に走り出します!
 それにつられて、観客も演奏に吸い込まれていきます。


 『カルメン』前奏曲で、一番楽しそうだったのはコンサートマスターDavid LEFEVRE氏。

 自分が座っていたのは、3列目のど真ん中(当日まで気付かなかった・・・)で、指揮者の真後ろ。
 「しまった!」と思いましたが、コンマスのバイオリンの音がそのまま伝わってくる席でした。

 爽やかな果物のような、トローっとしたメイプルシロップのような・・・。

 いつ作られたバイオリンなのか、分かりませんが、いたずらっぽいような軽やかさをみせながら、
包み込むようなあたたかさと、懐の深さを感じさせる演奏でした。
 それを支えているのが、確かな演奏技術であることはいうまでもありません。


 コンマス氏のバイオリンを聞いていたら、このオケの特徴がつかめてきました。

 とてもフレンドリーで、まとまりのあるオケでした。

 選曲も、オケに合わせたのだと思います。
 マーラーのような大編成を必要とする曲には向いていない様に感じました。


 2.ショパン ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 Op.11    Frédéric Chopin

  グランドピアノの屋根が全開になり、自分はその屋根のまん前にいるので、まるでCDを聴いている様な、
 (ピアノの演奏をどう録音しているのか知らないのですが)音がストレートに自分に向かって飛んでくる、
 そんな印象がありました。

  関本昌平さんの演奏は、いい意味で、とても堅実だと感じました。


   ピアニスト 関本昌平 ピアニスト 関本昌平氏


  しかし、この作品は特に最後の第3楽章のコーダ部分のアルペジオは
 高度なテクニックとスピードを要求されると後で知り、それを表情を変えずに弾き切った
 関本さんの素晴らしさを改めて知りました(コンマス氏は終演後感激のあまりhugしていました)。


  印象に残っているショパンのピアノとオーケストラのための楽曲は初めてですが、これも大きすぎず、
 まとまったオケだからこそ、非常にバランスがとれて聞こえたのかもしれません。
  ショパンが、大ホールではなく、パリのサロンで演奏会を開き、そのための曲を沢山作曲したことにも符合します。

 
  指揮者は足元しか見えませんでしたが、オケがピッタリと呼応しているので、全然気になりませんでした。


3.ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 Op.95「新世界より」
  Antonín Leopold Dvořák Symphony No.9                          "From the New World"                                                            (チェコ語: Z nového svĕta)
 

 <第1楽章>
  冒頭のホルンの音はどうするのか?と思っていたら、西本さん指揮CD同様大きな音のまました。

 CDとライブでは、ホルンの音量の感じ方の違いがあるのかもしれませんが、CDではかすれて大きな音だったのが、
 今回の演奏では、哀愁を帯びたホルンの音色を活かした上での音量だったので、「いい!」

 これも指揮者の解釈の違いですね。

 作曲家がこの部分のホルンにどんな意味をを込めたのか、また勉強して、他の指揮者の演奏と聴き比べてみたいと思いました。
 

 <第2楽章> 
  「家路」等の愛称で日本でも有名で、確かに親しみやすい旋律に変わるのですが、しかしあの放送で
 流れてくるイメージとは全く違って、日本的なべたつき感はない。

  あくまで交響曲の第2楽章としてどっしりとした安定感がありました。


 <第3楽章>
  自分の席からは木管と金管奏者が全く見えないのですが、音がとても安定していて、安心して
 心をゆだねられました。
  
  その透き通った響きに、この楽章だけ登場するトライアングルのキラキラした
 音色が加わって、楽章が互いに連関を持ちながらもフィナーレに向かって変化していく様がありありと
 わかりました。

  西本さん指揮CDでは、冒頭の管の音が弱く、その後強くなるという、違和感を感じさせるものでしたが、
 今回は出だしで管がばっと勢いをつけて、後につなげてくれるという、自然なものでした。
 

   そして、管の後の弦のリレーションが見事!指揮者が左から右へ、バイオリンからビオラ、チェロ、
 そしてコントラバスへ、中腰になりながら左腕を一杯に伸ばして翼のように旋回させ、オケがそれに
 応える様は、「お見事!!」

  指揮者と演奏家、プロ同士の丁々発止の遣り取り、そしてその中に深い信頼関係を感じました。


 <第4楽章>
  さて、第3楽章の興奮も冷め遣らぬ内に、聴衆に息つく暇も与えず、すぐ第4楽章に入りました!


  
  この楽章はスズキのCMで一部分だけ何回も聴きましたが、その時は石畳の上を車が走る映像に合った、
 鋭いのだが冷たい弦、緊迫感の中炸裂するような金管の音がどうもしっくり来ませんでした。        音楽が止まって、
 西本さんの鋭い眼差しでCMが終わることから、キレを出したかったのでしょうが・・・。

 

 しかし今日は違いました。もちろん、コンマス氏の優しい音に耳が張り付いていたのもあるでしょうが、
 曲として非常にバランスが取れていました。幾重にも重なった分厚い弦音のカーテンの間から、
 金管が登場し、力強く主題を奏でる。吸い込まれるように音の世界に入り、身をゆだねました。
  
  それをリードする西本さんの、緻密で力強い指揮!!「(指揮している時は)頭の中で音楽が鳴っている」とおっしゃっていましたが、
 間断なく、数手先を見越しながらリードすることで、なめらかでのびのびとした演奏を可能にし、演奏者の能力を最大限に引き出す。
 
 それが、指揮者です。背中を見ながら「これなら大丈夫!世界へ!」と何度も呟きました。

 

 指揮者は演奏者から音を引き出し、まとめる本来地味な存在です。
 その積み重ねが、指揮者としての信頼、評価に繋がると思います。

 

 西本さんには、これから先何十年と、世界中の演奏家たちと一緒に、聴衆を魅了し続けて欲しい。
 そう強く感じました。

 

 4.アンコール
  ビゼー 『アルルの女』第2組曲 第4曲 ファランドール


  
  リズムのいい、軽快な音楽でしたから、聴衆の沸きあがった喜びにさらに火をつけました!
  「ブラーボ!」の嵐!

 

 <カーテンコール>


  コンマスDavidさんと、1st violin SupersolosでDavidさんと双璧をなすLiza KEROBさん、
 そして西本さんの3人で登場してくれました。

 

  西本さんは、第4楽章が終わってしばらく、両腕を下ろしオケの方を向いて、じっと立っていました。

  聴衆の側に向き直った時、目線はやや右下で、緊張から解放されて一瞬ちょっとぼうっとした
 表情でした。そう、やり終えたんですよ!!

  ようやく、西本さんに笑顔がこぼれました。お疲れさまでした。ゆっくり休んで、さあ、世界へ!

  

  2回目、コンマス氏が引っ張ってきましたが、第4楽章で白い顔を真っ赤に上気させて
 熱演していた彼は、興奮も冷め遣らぬまま、西本さんの左手、次に頬に口づけをしていました。
  会場は大喜び!
 


  まだ会場の興奮が冷め遣らぬので、今度は西本さんを先頭に、団員たちが次々に出てきてくれました。
 ただ、舞台に向かって手を差し出す人に、西本さんが応えたので、皆さんが舞台に押しかけて、スタッフが止めに入る(1人ではとても止められる勢いではなかった)シーンがあり、パニックにならないか心配になったが、
 皆さん良識があってよかった。


  西本さんは、立ち見の出るほど聴衆の埋め尽くした会場を見渡して、そこかしこに丁寧にお辞儀をしていました。


 <見送り>


  こんなことしていいのか、と思いつつ・・・。

  まあ、どこから出るか自分は全然知らないので、建物の周りをぶらぶらしていたら、
 バスが止まっている。もしや、コンサートのバスツアーか?と思ったら、オケの皆さんが
 すっかり着替えてバスに乗り込んだり、外で待ったりしていました。

   終演後のモンテカルロフィルの皆さん

  こんな風に指揮者を出待ちする日本人が珍しいんでしょうねえ・・・、こちらに向けてデジカメ
 で取っている方も。

  真ん中に写って、大きな口をあけて笑っているコンマス氏は終始陽気で、やっぱりオケのムードメーカーといった風でした。

  最後、大きな銀色のジェラルミンケースがバスのお腹に納まり、その持ち主である西本さんが登場
 しました。ファンは大興奮、写真を撮ったり、一斉に駆け寄って、スタッフに制止されていました。
  西本さんは、すっかり落ち着いた様子。青紫だったかなあ、襟付きのシャツを着て、できるだけ冷静に
 ファンに対応していました。さらに窓際に座るサービス。・・・演奏以外でも、気を使いますね。

  ただ、バスが発車するときにファンがバスから離れないシーンが・・・。危ないぞ。

  2台に分乗して、バスは発車しました。

  演奏者の皆さんも、手を振ってくださったのが嬉しかったです。                       "Veuillez venir encore à Japon!"「また日本へ!」 (あっているかな?)

 

   雨の淀屋橋  駅までの帰り道。雨に濡れる淀屋橋。

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私の好きな曲 メンデルスゾーンの室内楽

 さて、前回の記事に載せた、「私の心に触れるもの」のなかで、今回はドイツの作曲家メンデルスゾーンの
室内楽を取り上げます。

  作曲家 メンデルスゾーン
 Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy,1809年2月3日-1847年11月4日 
 

 「室内楽」というのはいったいなんだんだろう、と思って調べてみたのですが、重奏(じゅうそう)
[複数の人が同時に演奏を行うアンサンブルのうち、各パートを一人ずつ演奏するもの]のための楽曲を室内楽と呼ぶそうです。
 
 さらに、室内楽は英語でチェンバー・ミュージック(chamber music)といい、チェンバー(chamber)とは宮廷内の広間のこと。本来は宮廷楽と訳されるべきですが、日本では「室内楽」の訳が定着そうです。
同様にチェンバー・オーケストラ(chamber orchestra)は室内オーケストラと訳されたということです。

 その形態としては
 ①二重奏(デュオ、デュエット、Duo、Duet。ピアノとの組み合わせがほとんど、二重奏(デュオ、デュエ   ッ ト、Duo、Duet)
 ②三重奏(トリオ、Trio)
 ③四重奏(カルテット、Quartet)

  等々、十重奏(デクテット、Dectet)まであるそうです。でも日本で見ることのできるのは①~③が多いように感じます。

 
 さて、今愛調しているのは、「Mendelssohon Chamnber Mudic Complite」(10枚入り、BRILLAUNT CLASSIC )です。

メンデルスゾーン 室内楽曲全集  
 

 音楽には素人なので、HMVの皆さんのレビューを参考にして購入したのですが、それぞれの楽器の個性を十二分に引き出し、
それを組み合わせることで無限の可能性が生まれるんだ!と感動しました。
 交響曲とはまた違った楽器そのものの魅力に気付かされます。

  

  実際聞いてみると、10枚のCDの曲の構成が、聴いていてとても心地いいものでした。
 1枚目はVIOLIN SONATA、2枚目はCELLO SONATAと、それぞれの楽器の音色に浸っているうちに、自然とメンデルスゾーンの世界に入っていきます。
 その後にSTRING QUARTETといったより人数の多い重奏が続き、楽器の組み合わせによる無限の可能性を堪能できます。

 そして、蛇足ですが、この全集はCDケースがとても美しいのです!
   メンデルスゾーン 室内楽全集  
  
   あまりうまく撮れていませんが・・・。


  10枚ごとに異なった油絵で表紙が飾られており、メンデルスゾーンが存命だった頃の雰囲気をかもし出します。
  また、ケースが往年のレコードケースのように厚くて弾力性があり、CDを取り出したりする動作がとてもやりやすいです。CD自体にも表面に装飾が施してあって、CDを取り出す時から幸せな気持ちになります。

  私は1枚目から順番にPCに取り込み、Windows Media Player で再生リストを作成して、
 すべてを1枚にまとめたいと思っています(できるのかな?)。

 

 自分は、夜バックミュージックとしてかけておいて、「あ、これは!」というときに曲名を確認したり、演奏の仕方を推察したりして楽しんでいます。

  聞いていると、メンデルスゾーンの曲は、どれも彼の温厚な人柄を反映しているようで、心が和みます。

  ぜひ一度お試し下さい(私はCD会社のまわしものではありません・・・)。

 

  ちなみに、クラシック音楽の在庫が豊富なHMVでは、ちょくちょく輸入版CDのセールをやっています。

  ただ、「CD3点のセット購入で25%オフ」というものなので、まとめ買いしたい時には自分も利用しています。

 HMVのサイト:メンデルスゾ-ン 室内楽曲全集(10CD)

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人間はなぜ生きるか

人間はなぜ生きるのか。

この問いかけをすることは、あまり意味がないのかもしれない。

 

「あなたは現に今生きています。ではどんな毎日を送りたいですか?」

などと、換言する事を、「今をよりよく生きるための」心理学では勧めるかもしれない。

 

「どんな毎日を送りたいか」、「どんな人生にしたいか」と想像する時、

そこには各人が思い描く自分のあるべき姿が映っているのだろう。

「こうありたい」と願い、それを実現させることが生きることの原動力ということになる。

 

つまり、人間は何かしら「目的」がないと生きられない動物なのかもしれない。

 

生物は「生命の維持」と、「遺伝子の引継ぎ」を目的とするらしい。

では、それが満たされているとき、何をもって「生きていなければいけない」と自分を律することができるだろうか。

 

夜、いきなりある友人から電話があった。

友人は、今年度当然あるべき昇格昇給がなかったことに憤っていた。

一番の怒りの原因は「○十万以上は昨年より余計にもらえたはずだ。損をした」というものであった。

 

私は長い電話を聞くにしたがって大きくなってきた疑問を尋ねた。

「余計にもらえるはずの給料で、何かするつもりだったのか?」

 

すると友人は「特に決めてはいないが、多い方がいいではないか」と答えた。

「では、もらえないことでローンの返済に困るとか、実際問題が起きるわけではないんだね」と確認すると、

「そうだが・・・、やっぱり損したという気持ちは割り切れない」と言った。

 

友人は失恋等が誘引となって鬱病に苦しんだ。

現在は通院している。通院のため会社を休むことへの周囲の不理解は、かなり本人を苦しめたようだった。

昨年の辛さを乗り越えたのは、今年になれば昇給するというほぼ確実であろう未来を信じたからだと言う。

 

 しかし、その金で何をするか、確たる目的はなかったのだ!

 友人にとっては、「今より多くの金を得る」ことが目的だったのだ。

 

眩暈がした。

 

「通貨」というのは、そのものに価値はない。

単に紙に印刷してあるか、金属を加工したものだ。

「それには○○円の価値がある」と行政機関が決め、その国の経済で認められて初めて価値を持つ。

 

しかも、持っているだけでは単に紙か金属である。

その通貨の価値が認められている所に行って、物やサービスと交換して、初めて「通貨(流通して、手段として機能を持つもの)」と言える。

 

友人の場合、通貨をただ手元に置いているわけではなさそうだ。

「自分は散財する性質だ」と言っていた。

しかし何が欲しいかイメージできずに通貨を求めるというのは、通貨と交換したものやサービスから、心に残る充足感を得た経験に乏しいのではないか、と推察する。

 

もちろん、自分もえらそうにいえる立場にはない。

財布に金があるとすっからかんになってしまうまで使ってしまったり、金に余裕がないくせにできるだけそのことを考えないようにしてコンサートのチケットを予約したり、「こうありたい自分や状態」をイメージして使っているとはどうも思えない。

 

非常に幸運なことに、私は自分の生命維持に必要な金は頂いている。

その残ったお金で、「自分の精神の維持管理」に必要と称して、コンサートのチケットを購入したりする余力はある。

 

いつもコンサート会場で、食い入るようにステージを見ているのは、「高いチケット代の元を取らないと!」という貧乏性のせいもあるが、作曲家の残した譜面を、指揮者がどのように解釈し、それをオーケストラのメンバーと音楽に紡ぎあげていくのか、タクトの振り方や演奏の仕方に現れる人間の心の動き、作曲家の表現したかった自信の心象風景を、断片だけでも共有したいと願っているからなのだ(大上段に書きすぎたな)。

 

何回目かのコンサートの時、その機会は訪れた。

会場は大阪シンフォニーホール、指揮小林研一郎氏、演奏関西フィルハーモニー管弦楽団。

 

そのコンサートの最初の演目は、フィンランドの作曲家シベリウスの交響詩「フィンランディア」Op.26だった。

   ジャン・シベリウス フィンランドの作曲家  Jean Sibelius,1865年12月8日-1957年9月20日

 

その前にシベリウスの全集CDを購入していたので、予習をしていっていたが、曲の冒頭、CDでは分からなかったコントラバスの地響きのような唸りが、一気に私の心をひきつけた。

 

この曲は当時旧ソビエトの侵略にさらされていたフィンランドの国民の愛国心を呼び覚ますをもので、最初は侵略に苦しむ国民の気持ちを表現するかのように、地の底から響くような重低音のメロディーから始まるのだが、やがて立ち上がった国民に勇気と希望を与えるような明るいメロディーとなり、最高潮のところでクライマックスを迎える。

 

私は最初のコントラバスの地鳴りのような響きから、一気に舞台上に引き込まれ、シベリウスが故郷の自然を描写しながら、この美しい国を守っていきたい、と自然に感じさせるメロディーの構成にすっかり魅せられた。

 

その時私は、シベリウスの心象世界がステージ上に現れるのをはっきり見た。

初めての体験だった。

 

  指揮者 小林研一郎氏  アンコールで、自らピアノを弾く小林研一郎氏

 

 

 

 

 小林研一郎氏の指揮する曲を聞くのは初めてだったが、これで一気に小林氏にひきつけられ、それから何回か氏の演奏会に足を運んでいる。

 

  

人は生きる中でいろいろな体験をする。

作曲家は自分の体験を基に曲を書いている。

だから、失恋や結婚など、本人にとって大きなインパクトのある経験をした後、名曲が生まれていることが多々ある。

 

私も含めて、24時間、寝ている間ですら、人は様々な体験をする。

それに対して生じた感情をすべて流してしまっていたら、確かに人生は無味乾燥なものだろう。

 

そのなかでも、自分が特に心を揺さぶられたことを、私は大切にしたい。

今はこうやってつたない文章で伝えることしかできないが、いつか体験を熟成させて、何か新しいものをつくり、それが誰かの琴線に触れることがあったら、それを心の栄養にしてくれたら、ようやく私の存在価値があると言っていいのかもしれない。

 

生きる目的を見つけると言うのは、難しいものだ。私にとっては。

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マイスターの仕事 指揮者 飯守 泰次郎 session 3 音を紡ぐプロ-指揮者

    さて、ずいぶんと間が空いてしまいましたので、飯守氏の指揮者としての印象を書いて終わりにします。

  指揮者は、一般的に右手でテンポ、左手で音の強弱や細かな指示を出します。
  もちろん、いろんなタイプの指揮者がいます。
  
  飯守氏は、右手でテンポを取るタイプの方でしたが、その振り方が本当に規則正しいのです。
  テンポはもちろんのこと、上から下へ振り下ろされる幅までほぼ同じ!
  まるで刀のようにシュッシュッと振り下ろされる音が聞こえてくることも。

  常に直立し、特に指示したいパートには「回れ右」のようにきちっと向き直って対峙していました。
  その姿は、「曲」をつくる職人たちに指示を出すマイスター(親方)のようでした。
  
  マイスターMeisterはドイツ語で「手工業において資格試験で認定された)親方」を指し、それから転じて
 (芸術方面の)巨匠を意味します。
   ドイツのマイスター制度の下では、手工業法に盛り込まれた職種については、マイスター資格がなけ  れば開業できず、マイスターの資格を取得するためには、見習いとして3年間働きながら職業学校に通い、
さらに「徒弟」(Geselle)として3~5年間の研修を積んだうえで試験に合格する必要があるのだそうです。
   厳しいですね…。

  マイスター制度は中世以来の伝統を持ち、1953年からは職能制度として法制化されましたが、労働市場改革を進めるドイツ連邦政府が、労働市場改革の一環として、マイスター制度の見直しに乗り出し、2003年に手工業法(Gesetz zur Ordnung des Handwerks)の改正を閣議決定し、
 現行のマイスター資格取得を義務付けた94業種のうち、65業種について資格取得義務の対象からはずすことになったそうです。

  その理由は、ドイツも例外なく国際競争にさらされ 、その結果失業率が2桁代になり、早急に雇用機会を拡大する必要が合ったこと。
  しかしマイスター資格取得義務を外された業種は小規模市場のものが多く、大きな影響は出ない、というのが2003年当時の
 予想だったようです。現状がどうなっているのか、私が調べた時点では把握できませんでした。
 
  私も含めて、便利で快適な快適な生活を求める消費者の欲望が、果てることのない競争社会を生み出しました。
  
  でも、では理想の生活を手に入れて、その先何をしたいのか。
  物は周りに溢れているけど、心は空ろ…という問題は産業革命以降、どんどん大きくなっているように感じます。

  でも、それは必要悪だ、とも、人間が傲慢だから、と性急に結論を出すことは避けたい。
  この状況は、心身ともに充足した理想の状況に達するための過程だと考えています。
  人間は、それを実現できる能力を持っていると信じて、自分も行動したい。

  日本はすでに物質の豊かさは(うわべですが)手に入れているので、月並みな言い方ですが、各人が心を豊かにする「努力」をする段階にあると思います。

 私は音楽に惹かれ、それを探求することで、自分を磨こうと、こうしてつたない文章を書いています。

  
 さて、話を戻して、指揮者飯守氏から受けた印象を書いて終わりにします。

 先に書いたように、その姿は、「曲」をつくる職人たちに指示を出すマイスター(親方)のようでした。
 信頼している職人たちに、それでも檄を飛ばす熱いマイスターでした。
 それは「堅実だが、お堅い」と揶揄される京都市交響楽団のオーケストラの個性に、ぴったりあっているように見えました。

 あまりの激しさに、指揮棒がオーケストラの方へ吹っ飛んでいってしまいました。
 飯森氏は、それにも動じず指揮を続けます。
 チェロ奏者の方が間奏中に指揮棒を拾い上げ、指揮棒をちゃんと先端を自分の方に向けてさっと飯守氏に差し出し、飯守氏も絶妙のタイミングで受け取って再び指揮棒を降り始めた光景には、「息の合った」というのはこういうことなのか、と感動しました。

 これから先は、私のちょっと気になった事を2つほど。
 
 指揮者飯守泰次郎氏は、1940年に旧満州・新京にお生まれになりました。つまり、現在68歳!
 指揮者は心身両面で、非常にハードな職業です。でも年齢を重ねて、ますます円熟味を増していくのが指揮者。
 舞台上で、飯守氏は輝いていました。すらりとした長身、お洒落な燕尾服。

 それで気になったのが、引き締まった腹回りです。   

  指揮者 飯守 泰次郎

  素人丸出し・・・。

 でも、京都市交響楽団との演奏会は、本当に素晴らしかったです。

 皆さんも機会があれば、ぜひコンサートホールに足を運んでください。

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マイスターの仕事 指揮者 飯守 泰次郎 session 2 音を紡ぐプロたち

 前回に続いて、5月18日に京都コンサートホールで行われた、京都市交響楽団 第512回定期演奏会を鑑賞して感じたことをお伝えします。

 文体が昨日と違っていますが、勘弁してください。その日の自分のmoodが反映されてしまうんです。

 さて、皆さんはクラシックのコンサートにおいでになったことはありますか?
 その時、何に注目していますか?

 自分が子供の頃、親に連れられて行ったコンサートは、ひたすら眠気との戦いで
辛かった思い出しかありません。
 音楽に聞き入ると気持ちよく眠くなる、でも演奏者に失礼だから眠ってはいけない…
と考えていたのでしょうね。
 
 クラシック音楽はCDでは聞くものの、その音を誰がどんな風に紡ぎ出しているのかまで関心が向きませんでした。

 転機は急にやってきました。ある年の暮れ、恒例の第九(ベートーベン交響曲第九番合唱つき)演奏会
に参加しました。たまたまです。
 
 その時は、指揮西本智実、演奏京都市交響楽団、合唱もプロの方が加わっていました。

 もう、唖然!としました。音が洪水のように降って来るんです!!

 その渦の中心に立ち、オーケストラとコーラスから音を汲み上げて「曲」という雲を立ち上らせ、
聴衆の上にざあっと雨を降らせる、それが指揮者西本智実でした。

 いきなり水を浴びせかけられた方はびっくり仰天。
 「なんだこれは!!」
 
 それで、初めて
「音楽は自分と同じ人間が、しかも沢山の人が精魂こめて作り出した結晶なんだ。
 その結晶は一つとして同じものはない(指揮者、オーケストラのメンバー、会場が
 全く同じということはないですから)。それを分けてもらえるコンサートってすごい!」
と実感しました。

 それからずぶの素人がこつこつコンサート会場に足を運んで、どうやって結晶を作り出しているのか、
なぜ自分がその結晶にそこまで惹かれるのか、等々沢山の?を解決して、服を乾かしてやろう
(頭の霧を晴らすと同類表現と取ってください。「雨」に降られて「ずぶ」濡れになった、という下手な引っ掛けです)
といつも耳と目を凝らしているのですが、なかなかわかりません。

 でも、まず結晶をどう作るか決めて、オーケストラの職人たちに指示を出しているのが指揮者らしい、
というのが知識ではなく体感として入ってきました。


 …続きはまた明日。「つまんねえ!」という突っ込みを入れて下さる親切な方はいらっしゃいませんか?

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マイスターの仕事 指揮者 飯守 泰次郎  session 1

やや雲がかかってきたせいか、京都はじんわりとした暑さに包まれていた。
 
 地下鉄烏丸線の北山駅を降り、歩いて数分のところに京都コンサートホールがある。
 府立博物館に隣接した閑静な立地であり、敷地の入り口には噴水があって、扇状に広がる大理石の池には
風に応じて小波が立ち、いかにも涼しげである。
 そのガラス越しにあるレストランから見たら、さぞ美しいことだろう。

 今日は、そこを活動拠点とする京都市交響楽団の第512回定期演奏会がおこなわれた。
 第2部からではあるが、私も鑑賞させていただいたので、報告したい。
 
 これを読んで、クラシック音楽や京都市交響楽団を身近に感じていただけたら幸いである。

 今日の演奏会のテーマは、17世紀から18世紀を舞台に描かれた恋。特に第2部ではドイツの作曲家、リヒャルト・シュトラウス
(1864~1949)作の交響詩「ドン・ファン」と、歌劇「ばらの騎士」が演奏された。

 「ドン・ファン」は理想の女性を追い求めて、次から次へと女性へ映るものの、結局満たされず。最後は決闘で落命する
主人公ドン・ファンの姿を描いている。


 「ばらの騎士」は非常に人気のある歌劇で、18世紀の貴族社会を風刺しながら、恋の美しさとはかなさを見た者の心に
強く印象付ける。一度見たら忘れられない作品である。
 「ばらの騎士」とは、婚姻の誓いに貴族が相手の女性に贈る銀のばらを届ける使者を指しており、これは18世紀の
オーストリア貴族間で行われている慣習という設定であるが、これは創作である。
 
 「ばらの騎士」を務めるのが、主人公の元帥夫人マリー・テレーズの愛人、青年貴族のオクタヴィアンであるが、これは
ソプラノまたはメゾソプラノ歌手が男装して演ずる、いわゆる「ズボン役(女性が男性の役を演ずる事)」の代表格である。

 また、劇中でオクタヴィアンが一目ぼれした女性のために一計を案じてマリアンデルという女性に「女装」する設定がある。
 sexalityが女性の役者がオクタヴィアンという男性のgenderを演じ、それがまたマリアンデルという女性のgenderを
「演じている」(元に戻ったわけですね)。
 男女の境界線をいったりきたりする不思議な舞台。

 そして、この物語の核となるのが元帥夫人。まだ30代前半であるものの、加齢による衰えを気にし、
やがて若いオクタヴィアンが自分の下を去っていくであろう事を予感し、その心の揺れを演技とアリアで表現する。
 そして予感どおり、オクタヴィアンは若い女性と結ばれるのだが、夫人はそれを粛然と受け入れる。
 
 人はなぜ恋をするのか?その難題に対する答えのヒントを、夫人の演技から読み取ることができるかもしれない。
 それほど元帥夫人の役は難役とされているらしい。

 興味をもたれた方は

 

 
R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」
ユニバーサル ミュージック クラシック
クライバー(カルロス)(アーティスト) ウィーン国立歌劇場合唱団(アーティスト) R.シュトラウス(作曲) ウィーン国立歌劇場管弦楽団(演奏)
発売日:2002-06-26

 


  『指揮者列伝』という本の中で、著者が強く勧めていたので購入してみましたが、俳優、舞台、そしてカメラのアングル等
初心者には申し分なく、十分堪能できました。

 

 実際のコンサートの模様は、また明日お伝えします。

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音楽家の人生

  音楽家の生涯を少し紐解いてみると、波乱万丈の人生を送っている方が多い。
 また、病気に苦しみながら、創作を続けた音楽家も多い。

 一番有名なのが、ベートーベンだろう。

 彼が生きたのは、市民革命の勃発した激動の時代。
 また、私生活でも、誰に献呈したのかいまだわかっていない「エリーゼのために」のように、
実らない恋、そして30代になって悪化した難聴に悩まされた。

 そして彼が32歳のとき、2人の弟宛に書いた書簡が、後に「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれている。
 その中で、難聴を患ったことによる苦悩から自殺まで考えた、と彼は告白する。しかし、


 「芸術が私を引き止めた。自分に課せられた創造を完遂しないまま、この世を去ることはできない」
                                  (『ビジュアルで楽しむクラシック名曲案内』学研)

 と書き、その後交響曲第3番など実り多い「傑作の森」に入っていく。

 芸術は生活と無縁な崇高なものだけでは決してない。芸術家が、その人生において強く感じたものを音楽、絵画など様々な形で周囲に伝えようとしたものだ。
 つまり、芸術は、その芸術家の生き様そのものとも言える。

 そのベートーベンに心酔していたシューベルトは、31歳の短い生涯で膨大な作品を残した。
 彼の亡骸は、敬愛してやまなかったベートーベンの墓の横に埋葬された。

 今年、日本のGW中、「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」というフランス発の音楽フェスティバルが東京と金沢で開催された。
 そのテーマが、シューベルトとベートーベンだったのは偶然だろうか?

 なんにせよ、自分の生きていたほんの一瞬の間にした体験、そこから生まれた感情を、後々の人々にも共感と感動を持って迎えられるような形で表現のできる芸術家を、私は心底羨ましく思う。

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甘い気分でワルツはいかが?

  214日は269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日とされ、世界各国様々な形で祝われています。  

 歴史を紐解いてみると、ローマ帝国にまで遡るのですね。ローマ神話では214日はユノ(Juno、ジュノ;ギリシア神話のヘラと同一視される)の日だったようです。ユノは家庭と結婚の神、ヨーロッパの言語で6月を指すJuneなどは6月を司るこの神に由来しているそうです。 

 さて、時のローマ皇帝は、恋人を故郷に残したまま出陣すると兵士の指揮が低下するという理由で、兵士の結婚を禁止していました。キリスト教司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密裏に兵士を結婚させましたが、捕らえられ、処刑されてしまいます。処刑の日は、ユノの祭日があえて選ばれました。

 

 ウァレンティヌス(バレンタイン)司教に関する伝説は複数あり、没年が異なっていたり、細部が異なっていたりするものが複数伝えられているそうで、ローマ正教の定める典礼暦からは外され、今は恋人たちがそれぞれ個人的に祝う日となりました。 

 

 その翌日、215日は1867年にヨハン・シュトラウス2世が作曲した「美しき青きドナウ」が初演された日です。ワルツの代表作で、毎年11日に行われる、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートの定番曲でもあるとても華やかな曲です。ニューイヤーコンサートは世界に中継され、マイナス8時間の時差のある日本でも今年は黒柳徹子さんも司会に加わって放送されていました。

  ヨハン・シュトラウス2世  ヨハン・シュトラウス2世

 

  「美しき青きドナウ」は発表される前年に祖国オーストリアがプロイセンとの戦争で大敗し、疲弊した国民を慰めるために作曲されました。そのため当初は歌詞をつけて男声合唱曲として書かれましたが、あまり評価が芳しくなく、管弦楽用に書き直したところ、人気を博しました。

 さらに他国で高い評価を受けた事からオーストリアに逆輸入され、『第二の国歌』『シュトラウスの最高傑作』としての名誉を博するようになったそうです。

  ニューイヤーコンサートでは、曲に合わせてウィーンの名所での男女の華やかなダンスシーンが挿入され、華やかな雰囲気を一層盛り上げてくれます。 バレンタインのお返しに、ワルツとはいかなくても、ダンスでもどう?なんて言える人は少ないでしょうね(日本じゃ、逆におかしいって)。 

ところで、ニューイヤーコンサートのアンコールの定番といえば、ヨハン・シュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」が代表的でしょう。ヨハン・シュトラウス2世の父親にあたり、ヨーゼフ・ラデツキー将軍を称えて作曲された勇壮な曲です。

 

いつもは客席に背を向けて仕事をしている指揮者が、客席の方に向きなおって聴衆に手拍子を促し、会場全体が一体となって盛り上がるのが最高のフィナーレです!

  

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新世界

先日、西本智実「新世界」ツアー モンテカルロ フィルハーモニー・管弦楽団のご紹介をしましたが、そもそも、チェコに生まれたアントニン・ドヴォルザーク(18411904)が、なぜ「新世界」という、アメリカをテーマにした作品を作ったのでしょうか?

 (「新世界より」はドヴォルザークの交響曲第9番を指します)

    ドヴォルザーク     Antonín Leopold Dvořák

   

  それは、ドヴォルザークの才能はもちろんのこと、当時の世界事情によります。 

  1776年にイギリスの植民地から独立し、国としてのスタートを切ったアメリカでは、様々な分野で旺盛に他国から吸収し、さらに自国のidentityを形成しようという機運が高まっていったようです。 

  音楽についても、アメリカ人の作曲家を養成するためにナショナル音楽院が創設され、そこに講師として招聘されたのが、ドヴォルザークでした。 

  なぜ、ドイツ、オーストリアといった、著名なJSバッハ、ハイドン、モーツアルトやベートーベンらを輩出した国の出身者ではなかったのでしょうか?

  ドヴォルザークが活躍した時代は西洋音楽史で言う「後期ロマン派」の時代に当たります。当時、通信や鉄道網の発達によって、ヨーロッパはより近くなり、音楽家の活動も、ドイツ、オーストリアからさらに広がっていきました。 

すると国々で民族音楽や民族詩と結びついた民族様式(国民楽派)が登場し、音楽に新しい流れを作ったのです。

 

  ロシアではムソルグスキーやチャイコフスキーへと受け継がれたロシア国民楽派、チェコではスメタナ(「モルダウ」でおなじみ)やドヴォルザーク、ノルウェーではグリーグ、フィンランドではシベリウスと、自国の民族音楽や楽器を取り入れ、独自の音楽を発表し、それが結果的に各国国民の心を結びつけることにもなりました。 

 音楽の面では新興国であった当時のアメリカは、国民楽派の1人としてブラームスにも評価されたドヴォルザークを手本にしたいという期待があったのでしょう。 

 アメリカに滞在中、彼は黒人霊歌やネイティブ・アメリカンの音楽を高く評価し、それを自身の作品に取り入れるなど、積極的に吸収していったようです。 

  また、彼は汽車が大のお気に入りで、アメリカ招聘に応じたのは1869年に開通したアメリカ横断鉄道に乗ることができるというのも理由の一つだったようです。

 

  彼の交響曲第9番の第2楽章は、日本語の歌詞がつけられて唱歌「家路」として親しまれています。 

  他にも「スラヴ舞曲」など、独自でかつ一度聴いたら忘れられないような親しみやすさのある、ドヴォルザークの曲を、ぜひ聴いてみてください。

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西本智実指揮 「新世界」ツアー

西本智実指揮 「新世界」ツアー

モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団   

  2008年西本智実「新世界」ツアー モンテカルト・フィルハーモニー管弦楽団       

大阪公演 2008年6月29日(日曜日)14時開演

          フェスティバルホール

一般発売日     6月16日 

   2月9日() 10:00より、フェスティバルホール特別先行抽選予約(SA席のみ、DM会員)があります。

 

   受付当日は座席の指定ができないなど、制約がございますので、

 詳しくはフェスティバルホール06-6231-2221にお問い合わせ下さい

 席種/料金S席:10,500円 A席:9,500円 B席:7,500C席:5,500

     D席:4,500BOX席:13,500 

「新世界」ツアーは全国を巡回します。詳しくは西本智実氏の公式HPをご覧下さい。

  

いつも演奏会の情報が遅くなって申し訳ありません。

 

昨年からベルリンに活動拠点を移した指揮者、西本智実氏は、今年から海外での活動をより広げ、さらに次のステップに踏み出そうとされているようです。

 

 

そんな中での貴重な日本公演、しかもモナコ公国の創立1856年という歴史あるモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団との共演は、今までにない素晴らしいものになるだろうと期待しています。

 

また、西本氏が「新世界」をテーマに選ばれたことにも興味を惹かれます。

 

「新世界」とはアメリカのことです。この曲は、チェコ出身の作曲家、ドヴォルザークがアメリカ滞在の期間(1892- 1895年)中に作曲されました。

 

 

ドヴォルザークがアメリカの黒人の音楽が故郷ボヘミアの音楽に似ていることに霊感を受け、「新世界から」チェコの故郷ボヘミアへ向けて作られた作品だと言われています。

 

指揮者、西本智実氏。日本・大阪からロシア、アルプス山脈を越えてドイツと、活動の範囲を広げられていく中で、様々な歴史や文化に暮らす人々に出会われる事でしょう。それを糧に、これからますます指揮者としての幅を広げられて、ご自分の世界を切り開いていかれるよう、願ってやみません。

 

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