.映像評論:Med草子

『THE BRAVE ONE』人の生きる意味

 今日、NHKの「英語でしゃべらナイト」を途中から見たのですが、そこでアメリカで活躍されている俳優、Jennifer Beals(ジェニファー・ビールスさんがインタビューに答えられていました。

   Jennifer Beals(ジェニファー・ビールス

 

 その中で出演されているテレビドラマ『The L WorldLの世界)』に話が及びました。私はその作品について全く知らなかったのですが、働く女性人生観が丁寧に書かれ、その中には同性愛についても触れられているそうです。

 ビールスさん自身は同性愛者ではなく、セクシャリティーも含めて映画の中で女性の内面について深く掘り下げられていることに感銘を受けたそうです。 

 『 “Lesbian”“Love”“Life”とLで始まる単語がキーワードになっている本作にちなんで、ビールス自身の人生を“L”で表わすと?という質問をしたところ、「Lucky(幸運)よ」と即答。「私には仕事があって、応援してくれる家族がいる……とっても幸せなことだわ」と微笑んだ』      [eiga.com映画ニュースより]

 

  しかし、実際の社会生活では、いわゆる性のマイノリティーに対する偏見は厳しく、hate crime(価値観の相違による憎悪犯罪)も起きています。 

  Boys Don't Cry ボーイズ・ドント

 

 

  映画化されたものでは2002年『Boys Don't Cry(ボーイズ・ドント・クライ)』でHilary Swank(ヒラリー・スワンク)が実際アメリカのネブラスカ州で殺害された実在の人物ブランドン・ティーナを演じ、主演女優賞を受賞しました。

 

( Hilary Swank2004Clint Eastwood(クリント・イーストウッド)監督作品Million Dollar Babyミリオンダラー・ベイビー)』でも主演女優賞を受賞しています )

 

 ブランドンは性同一性障害者だということが原因で殺されたのです。壮絶な屈辱を受けたあと、たった1発の銃弾で、彼(彼女)の人生は絶たれました。  

 

 武器を持つと、人間は自分にない強大な力を手に入れたという思考に支配され、自分の考えを失います。そしてその力を誇示してみたくてたまらなくなる。

 ないしは、自分にとっては正当な理由をつけて、武器の破壊力を撒き散らします。

 

     The Brave One (ブレイブ ワン)   

 

  2007年公開の『』でJodie Foster(ジョディ・フォスター)はいみじくもこのテーマに深く切り込んでいます。

 

 エリカ(ジョディ・フォスター)は、ニューヨークでラジオ番組のパーソナリティーを務める心優しい女性。しかし、公園の散歩中に婚約者を殺され、自身も重傷を負ったあと、連続殺人者へと変貌していく。

 『羊たちの沈黙(The Silence of the Lambs)』(1991)で、殺人鬼を追う捜査官を演じたフォスターは、このエリカを「絶対的に美しく、恐ろしい人物だ」と述べています。  AFP BBNewsより

 「映画の中でさえ、銃を握って撃つことは「『私は生きてあなたは死ぬ』と言わせる力があり、それは人を恐ろしく満足させるものだ」 (ロイター通信より) 

 人の人生を奪ってまで生きる覚悟がありますか。

 私は自分の人生を精一杯生きている自信がありません。

 

 

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『殯の森』

『殯の森』

 

殯の森

 

 先日友人と奈良県出身の河瀬直美監督の作品『殯の森』を鑑賞したのですが、まさにこの作品を今、病院に見舞いに来てくれた友人を自分が招待して見ることになったのは運命だ、と感じました。 

 これからこの作品について、自分の感じたことを率直に書いていきます。監督の意図したことと違う部分も多いと思います。ただ、自分が感じたことは、自分にとっては真実で、最も重みのあることです。それでは始めます。 

 まず、この作品が何を伝えようとしているかについてです。主人公の2人(しげきさん、真千子さん)は、ともに愛する人を失っています。そのとてつもない喪失感に対し、どう向き合い、生きる意味を見出していくのか、そしてそれは決して一人で出来るのではなく、今ここに生きて、自分を支えてくれている人の助けを借りて成しえる事だ、というのが強く主張されていたように感じました。

  それは、登場してくる僧侶の言葉に象徴されていたように思います。「生きている気がしない」という、しげきさんの問いかけに対し、僧侶はこう応えました。「生きているというのは、2つあります。1つは、ご飯を食べる事です。ご飯はおいしいですか?」主人公は、はい、と答えます。それに対し僧侶は、「では1つ目の生きている、というのは出来ているわけです。でも生きている感じがしない。何で生きているのかが分からない。これが2つ目の生きているという意味です」ここで僧侶は、隣にいる介護士の女性(真千子さん)に声をかけ、主人公の名を呼び、手を握るよう頼みます。僧侶は続けます。「しげきさん、真千子さんの優しい声が聞こえますね。そして温かい手を感じますね。これが生きているということなんです」  

 途中、2人がしげきさんの妻の墓を探して森の中をさまようシーンがずっと続きます。しげきさんのおぼろげな記憶を頼りに長時間険しい道を歩き続けます。気持ちばかりが焦って休みも取らず歩き続けるのですが、しげきさんの体力は限界に近づき、安易な方法を取ろうとします。滝壷に入水し、あの世で妻に会おうとします。真千子さんは半乱狂で叫びます。「いかんとって!!」

   それは単に、目の前で人が死ぬのを見過ごことに対し罪悪感を持つ、という普通の感情以上のものであると私は感じました。真千子さんにとってしげきさんは、ともに自分の喪失感を昇華させる旅をしているかけがえのない存在であるという感覚もあるでしょうが、彼女には、しげきさんが心の底から殯を完了していない、という直感があったのではないでしょうか。

  ここで死の世界で愛する人に会える、という方法を取る事は、人間の根源の感情、それを仮に魂と呼ぶ事にしましょう、の救いにならないと真千子さんは見抜いていたのです。 

 結局彼を思いとどまらせたのは、魂から叫び呼びかけている真千子さんの姿でした。 

  焚き火で暖を取りながら一晩を明かし、朝ぼんやりと目を開けると、そこには30年以上前に亡くなった妻の姿がありました。しげきさんは妻と2人の好きだったダンスを踊ります。しばらくして目覚めた真千子さんも、何の不思議も感じずに、その光景を眺めていました。

 ここで2つ目のテーマが出てきます。死は永遠の別れではないのです。死んでしまったら亡くなった方と過ごした時間はそこで一切止まり、現世での繋がりはすべて断ち切られる、としげきさんが思い込んだのが、彼の苦しみの始まりではなかったのかと感じました。 

 彼が、妻は唯一無二の存在だった、その繋がりは断ち切られた、その代替は一切ない、と考えたら、そうしたら生きている意味がない、早くあの世に行って妻に会いたい、と思うのは自然でしょう。そして彼は自分の世界に閉じこもり、ひたすら日記を書き続け、妻との思い出に浸って日々を過ごしました。それでは抱えきれない喪失感は消えないでしょう。大切なものを失ったことに焦点が合っているからです。2人で得た事の方が一杯あるのに、人は欠けている部分に注意を向ける傾向があります。 

  しかし、真千子さんに心を開き、共に喪失感に向き合ううちに、ついにこの世で妻に会うことが出来ました。つまり、人間の根源、魂というのは、現世と別の世界でも通わせることが出来る、と私は考えます。決して宗教的な解釈を引き合いに出しているのではありません。異論もあるかと思います。ただ問題にしているのは、来世があるか、魂は不滅か、等の宗教、哲学的なテーマではなく、今生きている私たちがいかに心を開き、魂を豊かにするかということなのです。  

  そして、とうとう妻の墓にたどり着きました。しげきさんは、妻が亡くなってから書きためていた日記を地面に置き、「ようやくここまで来ました」とつぶやきます。彼の中で、妻の死は受け入れられなかった、だから殯を終える事ができなかったのです。 

 そして彼は妻との大切な思い出の詰まった箱からオルゴールを取り出し、真千子さんに託します。それには2人の大好きな曲が収めてありました。その曲を真千子さんが奏でる中、彼は妻の眠る墓の周辺の地面を掘り始めます。そして、出来た穴に体を横たえ、土のやわらかい感触に心から安らいだ表情で、「もう休もう」と呟きます。

 その間、真千子さんはずっとオルゴールを回し続けています。その軽やかな音色は木々の間から見える空に向かって吸い込まれていくようです。真千子さんは天を仰ぎ、はらはらと涙を流します。それは悲しみというよりも、しげきさんの満ち足りた魂が、上へ上へと昇っていくのを感じ、共鳴し、自然と涙が溢れてきているようでした。その時の彼女の表情は、魂そのもののように、純化されていたように見えました。  

 

 帰りの電車の中で、私は友人に対して多弁になり、手振りを交えながら話し続けました。その友人は、同期に入社して知り合い、自分が心の底から話せる本当に大切な人だったのです。そして、病状が落ち着いた頃、事故のことを知らせたら、病院に飛んで来てくれたのです。その時事故のことをかいつまんで話したら、彼女は貧血を起こしそうになってあわててしまいました。それほど心配してくれたのかな、と感動しましたが。 

  私の頭の中で、なにかが整理され、言語化が始まりました。

  その要点は、「昨年はいろいろな体験をした。そしてその度に、いろいろな方にお世話になった。もちろん貴方はその一人だ。そのおかげで、体験が何を教えてくれているのか、その段階ごとに知る事ができた。私は周りの方々のおかげで、このチャンスを生かすことが出来た」ということです。

 正確には生かせているかどうかは、まだ途上で分かりませんが、こんな覚えの悪い奴でも、少しずつは掴んできていると実感しています。 

 そして、乗り換えの駅で別れ、友人はもとの日常に戻っていきました。 

 Then , what to do next ? 私の修行はこれからです。

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