グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) - 和書 - Med草子アマゾンショップ

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アイテム詳細

Francis Scott Fitzgerald
Francis Scott Fitzgerald
村上 春樹

中央公論新社

グループ:Book

ランキング:1117

価格:¥ 861

発売日:2006-11

在庫あり。

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http://www.tcatie.net/amazon/asin/Books/4124035047/

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レビュー(Amazon.co.jp)

1922年、F・スコット・フィッツジェラルドは、「何か新しいもの、斬新で美しくて質素なもの、手のこんだ構成のもの」を書くと宣言した。それが、彼の代表作にして最高傑作である、『The Great Gatsby』(邦題『グレート・ギャッツビー』、または『華麗なるギャツビー』)だ。「ジャズ・エイジ」の光と影を描いた本書は、狂欄の1920年代の雰囲気をとらえた小説で、「アメリカの神話」の中で不動の地位を占めている。

   貧しさの中から身を起こし、裕福になったジェイ・ギャッツビーは、フィッツジェラルド、あるいはアメリカそのものにつきまとう、金や野心、貪欲さ、進歩主義信仰などの強迫観念を象徴する。
 「ギャッツビーは、緑の灯火を信じていた。お祭り騒ぎは、年々かげりを見せはじめているというのに、未来は明るいと信じていた。いざ、その時が来て、明るいはずの未来が素通りしていっても、たいした問題ではない。明日になれば今日より速く走ることができるし、大きく手を広げることもできるから…そしてすがすがしい朝が――」
   夢の実現と崩壊を描いたこの小説は、「アメリカンドリーム」に一種の警鐘を鳴らす作品なのだ。

   この小説は、デイジー・ブキャナンに対する、ギャッツビーのかなわぬ思いを描いたラブストーリーでもある。2人の出会いは、物語の始まる5年前。若きデイジーはケンタッキー州ルーイヴィルの伝説の美女、ギャッツビーは貧乏な将校だった。2人は恋に落ちるが、ギャッツビーが海外出征している間に、デイジーは、粗暴だが非常に裕福なトム・ブキャナンと結婚してしまう。

   戦争から帰ってきたギャッツビーは、なりふりかまわず、富とデイジーを追い求めることに没頭する。やがて、当初は目的にすぎなかった富が、デイジーを手に入れるための手段になっていく。
 「彼女の声は金でいっぱいだ」
   これは、ギャッツビーが、この小説の中でも特に有名なシーンで発する賛辞の言葉である。

   金持ちになったギャッツビーは、デイジーの住まう高級住宅地のイースト・エッグと、ロングアイランド水道を挟んで向かい合わせの地所に大豪邸を購入し、ぜいたくなパーティーを開いて、デイジーが現れるのを待つ。そして、彼女が登場すると、物語は、ギリシャ劇につきものの、悲劇的な様相を見せはじめる。かたわらで冷静な目で見ている隣人のニック・キャラウェイは、終始「コロス」を受け持つ。無駄のない文章、 洗練されたストーリー、透き通った文体。『The Great Gatsby』は優れた詩文でもある。

カスタマーレビュー

ボクは、今日が自分の誕生日だってことをずっと考えていたよ。  (2010-08-27)
 読んでいてやられたと思った台詞です。
自分なりにフィッツジェラルドはこの一言をいれるために
この小説を書いたんじゃないのかとも思いました。
それまで作品全体に漂っていた透明で空虚な雰囲気は
この台詞を境にして一気に引き締まり、一つの悲劇へと向かいます。
ボクはそこに傍観者に徹した主人公の罪と贖罪を見ました。
ボクは主人公を悪人に仕立て上げてしまいましたが、
ボクじゃない方はきっと別の罪のあり方を見つけられると思います。
どことなく『省みる』という言葉が似合う不思議な優しい小説でした。

はっきりいって、そこまですごい作品なのか?  (2010-06-01)
人妻になってしまったかつて恋したデイジーに思いを寄せる
ギャツビーの物語。
視点はギャツビーの隣人のニック。
ニックはデイジーのいとこでもある。

村上春樹が『カマラーゾフの兄弟』よりも
人生で巡りあった重要な本であると
この本の訳者のあとがきで書いている。

学生時代に他の翻訳家のものを読もうとしたが挫折していた。
今回、村上春樹という小説家が翻訳がしたものなのか、
すらすらと読み終えたが、
はっきりいって、そこまですごい作品なのかどうかわからなかった。

原書で読まないとわからないのではないだろうか?

しかしデイジーのその後が気になる。

中身の方は他の方々にお任せして  (2010-05-16)
僕がこの本を読むきっかけとなったのは,ノルウェイの森の作中においてワタナベと永沢さんがこの本に触れていたからだ.
それはさて置き,この本の中で一番強い印象を与えてくれたのは冒頭部の「誰かを批判したくなったときは,世間の全ての人が自分ほど恵まれた条件を与えられたわけではないと考えなさい」の箇所である.
つまりはそういうことだ.

すばらしい描写の数々  (2010-05-12)
 ある意味フィッツジェラルド自身ともいえる、この小説の主人公の一人であるニック・キャラウェイの視点から物語が進行していく。ニック自身(フィッツジェラルド自身)の心理描写や場面々々の情景描写が的確であるというか、的確であるのにフッと消えてしまうようなフィッツジェラルドならではのすばらしい描写の数々。それでいて小説全体の場面の移り変わりや筋の進行のバランスの良さ。まさに小説の教科書ともいえる小説だと思います。
 日本語訳は野崎孝さんと村上春樹さんの2つの翻訳がありますが、わたしは一文々々を丁寧に訳している野崎さんの方を推薦します。

若干読みにくい野崎孝訳版  (2010-04-29)
舞台は1920年代のアメリカ東部。大学を卒業したニックは、ニュー
ヨークのはずれのウエストエッグに移り住む。中西部生まれの田舎
者であるがゆえに、ビュキャンナン夫妻の豪奢な暮らしに圧倒され
ながらも、新生活を満喫していた彼だったが、「隣人」ギャツビー氏
の正体は未だわからない。そんな隣人の広大な邸宅で開かれた
パーティにて、その主催者と、ニックはようやく対面するのだが…。

『グレートギャツビー』というタイトルを持つこの小説が、ニックという
平凡な一青年の目線を借りて描こうとしているもののひとつは、そ
のギャツビーという男の文字通りの「偉大さ」なのだけれど、その偉
大さと魅力が最大限に発揮されるのは、実は彼ら二人の出会いの
シーンだ。パーティ中にもいろいろな憶測が飛び交うギャツビー。そ
れによって肥大化するのはもちろん、ニックと読者の中のまだ見ぬ
「ギャツビー像」なのだけれど、そのむやみやたらと膨れたであろう
イメージは、唐突な出会いによって唐突に収束してしまう。

だが、それは彼の偉大さは一ミリたりとも損じない。むしろ虚像とそ
れをぶち壊した実像の彼の「ギャップ」によって、逆説的ながら彼の
偉大さは完ぺきに表象されている。まさに「つかみはOK」だ。

しかし先に書いたとおり、ここが「最大限」だったのだ。実はこの小説、
見方を変えればそんなギャツビーの「偉大さ」が次第に減退していき、
等身大の青年へと貶められるプロセスを書いている、といえる。訳者
の野崎孝による解説によると、フィッツジェラルド自身このタイトルに
満足していないというのは、うなづける。

なぜに彼が偉大でなくなっていく(正確には「みえなくなっていく」)の
か。そして、なぜ彼がニックの隣家に住み、毎夜のごとく豪奢なパー
ティを開き続けるのか。その答えはじきに明らかになるのだけれど、
古今東西身を崩すのは同じ理由。誰もが「あれ」の前では、丸裸にさ
れてしまう、ということか。